categoryスポンサー広告

スポンサーサイト

trackback--  comment--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
category場所

ヴィシェフラッドに眠るチェコの文化人たち

trackback0  comment0
今ごろのヨーロッパは、日本では考えられないくらい日が長くなっていて、夜9時くらいまで明るいので、マミンカは、夕食の準備にとりかかるのがつい7時すぎになっていたのを、思い出します。

この時期にヨーロッパを訪れると、夜が長いため一日中無駄なく過ごせるので、充実感が味わえます。先日、訪れたスペインは、レストランの開店時間が、8時のところが多く、薄暗い街を歩きまわって時間をつぶしたりしていましたが、今なら夕景の素敵な写真を撮ったり、カフェでゆっくり時間を過ごす余裕もありますよね。

プラハのヴィシェフラッドも、夕方になると、ライトアアップされるので、午後遅くから訪れても散策が楽しめます。

かつて城がこの地にあったころ、宗教の中心部となっていた聖ペテロとパウロ教会は、11世紀に創設され、13世紀に焼失してからは、ゴシック、ルネサンス、バロックなど様々な様式に改築されました。19世紀後半に、今のようなネオ・ゴシック様式に建て替えられました。一見、プラハでよくある教会に見えますが、内部は、ムハ(ミュシャ)の画風に似た肖像画で埋め尽くされていて、まるでギャラリーのようです。教会
内部の装飾は、一見の価値ありです。

教会外観
1月のある寒い日に撮った教会の遠景。今なら、青い空にくっきりと浮かび上がっているはず。

門

教会の扉も豪華です。


マミンカは、教会については、ほとんど知識がないので、よくわからなかったのですが、教会には毛髪(おそらく)がおさめられた豪華な装飾品がいくつか展示されていました。あれは、故人を永遠に忘れないという想いから、造られたものなのでしょうか。

教会に隣接した国立墓地も、マミンカは何度か訪れました。墓地というと、暗くしめったイメージがありますが、この墓地は、墓石の装飾が素晴らしく墓地というより、屋外ギャラリーのような雰囲気があります。

ここは、民族主義が高まった19世紀に、チェコゆかりの文化人のための民族墓地を造ろうと、教区墓地から、現在のような墓地に改造されました。約600人の、音楽家、画家、建築家、作家などがm埋葬されています。
ロボットという言葉を初めて使った作家のカレル・チャペック、チェコを代表する音楽家のスメタナ、ドボルジャーク、国民的女流作家ネモツバー、ネルドバ通りに住んでいたジャーナリストのヤン・ネルダの墓にマミンカはよく訪れました。毎年、スメタナの命日の5月12日に「プラハの春」音楽祭が開幕し、大勢の人がスメタナの墓に献花に訪れると聞きました。

墓地の奥には、チェコの文化・芸術の発展に多大に貢献した人々の合同霊廟「スラビーン」があります。マミンカは、この霊廟の下に入れてもらったことがあるのですが、そこには、ムハ(ミュシャ)、キュービズム様式の代表的建築家ゴチャール、1920~30年代に活躍した画家シュパーラらが眠っていました。

カレル・チャペックの実兄のヨゼフは、画家、舞台芸術家、作家と様々な肩書きを持ってました。ナチズムに反対したため、捕らえられ、アンネ・フランクも収容されていたベルゲン・ベルゼン収容所で亡くなったことから、お墓はプラハにはありませんが、ある出版関係者の墓石に彼の名が刻まれているのを、帰国直前に見ることができました。その墓石はスラビーンのすぐ前にありました。

ムハなどの墓碑
「スラビーン」には、ムハの名が刻まれていました。

本当は、墓石の写真を載せようかと思ったのですが、故人たちに叱られそうな気がしたので、やめておきました。
もし、機会があったら、自分の目で墓の前にたたずみ、数々の文化人と心で語り合ってみてください。



スポンサーサイト
 









        
 
http://maminka.blog45.fc2.com/tb.php/90-d5b7c206
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。