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ケプラー、ドボルジャークが住んでいた家

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これまで、プラハを歩いていて、街角に有名人らしき人の胸像が建物に取り付けられているのを数多く見てきました。そのうち、偶然カプロヴァ(Kaprova)通りからマリアンスケ(Marianske)広場へ通じるパサージュに、ケプラーが住んでいた家があるのを見つけました。ケプラーは、ルドルフ2世(1576~1611年)が1583年にプラハを再び神聖ローマ帝国の首都として栄えた時代に、ドイツから移り住んできていました。
ドボルジャーク(1841~1904年)は、中央ボヘミアのネラホゼヴェスで肉屋の息子として生まれましたが、1857年からプラハのオルガン学校で学び、卒業。その後、プラハではオルガン奏者、作曲家として活躍、1884年からイギリス演奏旅行、1892~1895年にはアメリカに渡り、音楽院長を務めました。1895年にプラハに戻り、1901年にはプラハ音楽院の院長となりました。おそらくこの頃と思われる、ドボルジャークの家がムゼウム駅近くのジトナ(Zitna)通りの古ぼけたビルにあったことを、ドボルジャーク博物館の資料から知りました。
また、この他にも、ナ・ブシコペ通りには、「バビチカ」(おばあさん)という小説を書いたチェコの最も有名な女流作家のひとりであるBネモツヴァーの碑板がつけられています。「バビチカ」は、数年ごとに挿絵を変えて出版されていて、マミンカはヴァーツラフ・シュパーラの挿絵が入ったものが欲しくて探していますが、まだシュパーラの展覧会や工芸博物館でしかお目にかかっていません。
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ケプラーが住んでいたことを示すパネル
家
この界隈にケプラーの家があったらしいのですが。
ドボルジャークの家
ジトナZitna通りのドボルジャークの家

ネモツバーの碑板
ナプシコペ通りの銀行の建物にあるBネモツヴァーの碑板。
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〔テーマ:ヨーロッパジャンル:海外情報

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国民的画家ヨゼフ・ラダのふるさと

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今日のプラハは小雪が舞う一日でした。3月に日本へ帰ることが決まっているので、春まで待てないマミンカは、家族とともに、国民的画家のヨゼフ・ラダのふるさとまで出掛けました。ここは、プラハから車で1時間弱のHRUSICEという小さな村で、ヨゼフ・ラダの生家や、記念館などがありました。今日は、一面の銀世界で、彼の描く色鮮やかな風景を想像するのは少し難しかったですが、小さな記念館では、彼の遺品や、挿絵の原画、FDC、エクスリブリス、古本などを観ることができました。中でも、兵士シュヴェイクを主人公とした小説を書いたことで有名な作家ヤロスラフ・ハシェクとヨゼフ・ラダの似顔絵が並んでいる部屋は、興味深かったです。
ヨゼフ・ラダの絵は、子供や動物の日常を牧歌的に描いた、とても温かみのある画風で、大人から子供まで、今なお親しまれていて、イースターやクリスマスには、彼の絵がプリントされたショッピングバッグがスーパーで売られているのをよく見かけます。ひとつ残念だったのは、彼の描くような風景はほとんど残っておらず、小さな橋や、川、教会や、一部の家だけが彼の絵を思い起こさせてくれました。ラッキーだったのは、ラダ風の絵が外壁や内部に所狭しと描かれたホスポダ(ビールがメインのレストラン)があって、そこで、トリノオリンピックのフィギュアスケートやアイスダンスのエキシビジョンが見られたことです。チェコでは、オリンピックでの日本選手の活躍がほとんど見られず、このエキシビジョンも見逃してしまっていたんです。プラハへの帰り道、もし機会があったら、花が咲き乱れるこの町の姿をもう一度見てみたいと思いました。
看板
村の入口の看板
ヨゼフ・ラダ記念館
ヨゼフ・ラダ記念館
日本語の本も並んでいました。
日本語の本も並んでいました
ハシェクとラダの似顔絵
ハシェクとラダの似顔絵
ホスポダ
ラダの絵が描かれていたホスポダ
教会
ヨゼフ・ラダの絵でおなじみの教会

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