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ホリーさんの「チェコキュビズム建築とデザイン」講演会に行ってきました

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ポスター写真

10月30日、名古屋のINAXギャラリーで行われた、チェコセンター所長のホリー・ペトルさんの「ホリーさんと巡る、チェコキュビズム建築とデザイン」講演会に出かけました。
マミンカが想像していたよりもずっとお若い、長身のホリー氏はプラハで生まれ育ち、演劇の研究目的で来日されてまだ10年ちょっととは思えない、流暢な日本語でチェコの歴史から文化全般、そして幼い頃から親しんでこられたキュビズム建築についてお話ししてくださいました。

建築については、現在INAXギャリーで作品が紹介されている、ヨゼフ・ホホル、ヨぜフ・ゴチャール、パヴェル・ヤナーク以外の建築家についても、興味深いお話が聞けました。

広島の原爆ドームを手がけたヤン・レツル聖路加国際病院の建築に携わったアントニン・レーモンド、ベドジフ・フォイエルシュタインについても語ってくださいました
。中でも、作家カレル・チャペックの兄、ヨゼフが初めてロボットという言葉をカレルに提案した戯曲で、舞台デザインをフォイエルシュタインが担当したこと、横浜のカトリック山手教会は、チェコの建築家スワガーが手がけていて、教会内部には、プラハ城とカレル橋を描いたステントグラスがあることは初耳でした。

また、ホホルの代表的キュビズム建築のひとつである「三世帯住宅」は、キュビズム様式の建築が三棟並んでいることからつけられた名前だとホリーさんからお聞きしました。

チェコでは、若い建築家が改めてキュビズム建築を学び、チェコだけにしか存在しないキュビズム建築は世界的に注目されていると聞きます。
ぜひ、アールヌーボーやアールデコのように、この建築様式が広く知られるようになったらと願ってやみません。ただし、チェコ独自の建築様式でもあるので、知る人ぞ知るっていう部分も残しておきたい気もします。


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昨夜の「地球街道」は迷宮都市・プラハ

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去年は、CMなどで次々とプラハが登場したのに、今年はテレビでプラハがあまり見られないので寂しく思っていたら、昨夜の「地球街道」で久しぶりに美しいプラハの町並みを見ることができました。
今回の放送では、雅楽師の東儀秀樹さんが、プラハ、テルチ、ミクロフを巡りました。

まずは、あの有名なプラハ城前の坂からの小雨にけぶるプラハの絶景が映し出され、旧市街広場の名物の時計台のからくり人形の内部が紹介されました。その後、チェコで脈々と受け継がれてきた人形劇の人形を東儀さんが操る様子や、色彩豊かなかわいい建物が立ち並ぶ町・テルチで1920年~30年代の自転車をコレクションしているおしゃれな紳士が紹介されました。

カフェ

これは、時計台のまん前にある、グランドホテル(Grand Hotel)の2階にあるカフェからの眺めです。お茶を飲みながら、時計台のからくり人形が見られるのでお勧めです。


今回、マミンカがもっとも興味深かったのは、チェコの偉大な建築家ヨゼフ・ゴチャール(Josef Gocar)が手がけた チェコスロバキアレジオン銀行(Caechoslovak Legion Bank )が登場したこと。この銀行は、火薬塔から歩いて5分くらいのところにある赤茶色の外壁に兵士たちのモチーフが飾られた、とても目をひく建物ですが、何と言っても内部の装飾が豪華なんです。

マミンカはインテリア見たさに用も無いのにこの銀行に入って行き、カウンター前の待合スペースの小さな噴水や、見事な色彩をしばらく見ていたことがありましたが、内部は撮影禁止だったので、せめてトイレだけでも行って盗み撮りでもしておけばよかったと、後悔しています。

銀行

これが、チェコスロバキアレジオン銀行です。住所は、Na Porici 24 1 Nove Mesto 1046。

ゴチャールについて紹介されているHPはこちら。
空間


ゴチャールの建築としては、火薬塔のすぐそばにあるこの「ブラックマドンナ」が有名ですが、東儀さんが街灯の整備をしている人を撮影している場面で、この建物はちらっと映っていました。


マドンナ
この「ブラックマドンナ」を訪れたら、是非キュビズム博物館と、カフェ・オリエントに立ち寄ってくださいね。1階にあるミュージアム・ショップも見逃せませんよ。

カフェ
これが、マミンカがプラハで最も気に入っているカフェ・オリエントです。ここのオリジナルのカップ&ソーサーはお土産にもお勧めです。


ミクロフは、ウィーンへ行く途中に通り抜けたことは何度かありましたが、町の丘の上からオーストリア、スロバキア、そしてチェコの三つの国が見渡せるとは知りませんでした。

来週は、チェスキー・クルムロフの特集ということなので、これまた必見です。


地球街道の公式HP
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広島の原爆ドームとプラハのホテル・エヴロパ

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先週末、マミンカ一家は広島・下関・門司・小倉ツアーに出かけました。マミンカにとって広島より西に向かうのは初めてでしたが、名古屋から新幹線で3時間で小倉についてしまうなんて、改めて新幹線という乗り物の便利さを実感してしまいました。
このツアーはヤブルコの「原爆ドームを見たい」という一言から計画したものでしたが、マミンカの「門司のレトロ建築を是非見てみたい」という願いも叶った、有意義な旅となりました。

ところで、チェコマニアの方ならご存知かもしれませんが、広島の原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)は、チェコの建築家ヤン・レツル(Jan Letzel 1880~1925)が設計しました。
プラハのレトナ公園からブルタバ川を向いた時に目に飛び込んでくるドーム付の建物も彼が手がけたと、よく日本人に誤解されているそうですが、こちらはヨゼフ・ファンタ(Josef Fanta)が設計しました。原爆ドームの建築中の写真と比べると、酷似しているので誤解されるのも納得できます。

原爆ドーム
建築中の広島原爆ドームです。1915年建設。

現在のドーム
この原爆ドームは、1945年8月6日に原爆により大破しましたが、爆風の圧力が真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れました。人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、また核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして1996年12月に世界遺産一覧表に記載されました。

プラハのドーム
こちらは、ヨゼフ・ファンタが設計したプラハのドーム建築です。比べてみると、広島の原爆ドームととてもよく似ていますよね。

ヤン・レツル(建築家ヤン・コチェラに師事)は、1907年に来日し、1925年に日本を去るまで日本国内で15以上の建物の設計を手がけました。上野精養軒ホテル、宮島ホテル、松島ホテルや、聖心女子学院の正門(東京都港区白金)なども設計しました。彼が手がけたほとんどの建築物は、関東大震災や、戦争などで失われてしまいました。唯一、松島ホテルが残っていたものの、残念ながら1969年に焼失してしまったそうです。

松島パークホテル関連HP
http://pearl.age.jp/parkhotel/

また、彼がプラハで手がけた建築は、ヴァーツラフ広場に面するグランド・ホテル・エヴロパ(Grand Hotel Evropa)で、これは典型的なアールヌーボー建築です。

ホテルエヴロパ
このグランド・ホテル・エヴロパは、1889年に創設、20世紀初頭にアール・ヌーボー様式に改築されました。ヤン・レツルは、HPによると喫茶室を設計したとのことです。

ヤン・レツルに関するHP
http://ww2.enjoy.ne.jp/~kikuraku/

話は、門司に移りますが、門司は門司港駅(1914年開業)をはじめとして、プラハに現存する建物と同世代の建物が数多く残り、マミンカはとても親しみを感じました。旧大阪商船(1917年建築)の建物の一部に、わたせせいぞうさんのギャラリーがあって、7日は、本人が来訪者にサインをしている様子が通りからもうかがえました。門司は、バナナの叩き売り発祥の地であるらしく、バナナを使った様々なお土産も売られていました。

マミンカが気に入ったのは、作家・林芙美子の代表作「放浪記」にちなんだ喫茶店・放浪記です。昭和の雰囲気が残る栄町銀天街をちょっと入った路地にあって、店内のいたるところにレトロな雑貨が飾られていて、まるでタイムスリップしたかのようでした。ここの「林ライス」と、「うに丼」はお勧めです。

店内
喫茶・放浪記の店内は、まるで骨董屋のようです。


うに丼
名物の「うに丼」は、かなりのボリュームです。
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早く修復してほしい名建築・プラハ中央駅

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プラハに来てからほぼ4年の月日が流れ、プラハ郊外に次々とショッピングモールができたり、新しく博物館が改装オープンしたり、空港が拡張されたりと、プラハは年々変わりつつあります。でも、依然として修復されず哀れな姿をさらしている建物も少なくありません。そんな建物のひとつが、プラハ中央駅です。パリの駅に刺激されて、1900年代初頭に建築された代表的なアールヌーボー建築ですが、外観の女性の顔の装飾のいくつかは崩れ、壁は黒く変色し、ガラス窓には無粋なパネルが取り付けられたりと、目を覆いたくなります。駅の周辺には、怪しげな人もたむろしています。70年代に、駅の改築工事が行われ、メインの入口が地下になってしまったことが、修復への関心が薄れてしまった原因なのかもしれません。マミンカには、駅の外壁を美しく飾っていた女性のレリーフたちが、早くきれいに修復してほしいと訴えているように思えるのですが。
玄関

芸者

カフェ

ガラス

〔テーマ:ヨーロッパジャンル:海外情報

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チャペックブラザーズが住んでいた家

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今日は、ヤブルカがウィルス性胃腸炎で学校を休んだものの、意外に元気だったので、マミンカは家で長い時間パソコンに向かっています。そこで、以前から紹介したかった場所を紹介します。このチャペックブラザーズの家については、山本容子さんの本で知り、プラハに住み始めてからまもなく地図を片手に出かけました。チャペック通りという通りがあったり、家の壁には、二人の顔のレリーフが飾ってあったり、今でもチャペック兄弟はチェコの人々の心に生き続けているんだなと感激した記憶があります。この家は、1924年に建てられ、建物の右の部分にカレルと父親が、左側にはヨゼフと妻、娘が住んでいたということです。二人の死後は、親族がこの家を守っています。いつか、博物館として中に入れるようになったら、「ダーシェンカ」が駆け回った庭を見てみたいと思います。この家は、プラハ10区のヴィノフラディ地区のBratri Capkuという通りにあります。
また、ヴィノフラディの家に住む前に、チャペック兄弟が住んでいた家がマラーストラナにあります。ペトシーンの丘の下の「ボヘミアンベーグル」のすぐ近くの、ジーチニー(Ricni)通り11/532にあり、家の前には碑板が取り付けてあります。
通り
チャペック兄弟通り
家
チャペック兄弟通りの家
家
ジーチニー通りの家
碑板
1907~1925年に住んでいたと記された碑板

〔テーマ:ヨーロッパジャンル:海外情報

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